政教分離の侵害を憂える声明

1996年11月23日
日本長老教会 靖国問題対策委員会

 私たち日本長老教会靖国問題対策委員会は、聖書の勧めに従い常に為政者のために祈り続けております。また、私たち日本国民として、国民の多様な要求に応え、変転極まりない国際情勢の中で日本の舵とりをする為政者の心労・激務に対し、日頃から感謝をもっております。

 同時に、私たちは為政者がその託された職務を、国家の基本法である日本国憲法の理念に沿い、その理想に向かって、正しく全うされているか 否かを見守る役割を担わされております。それは民主主義を政治原理としている日本人として当然の義務でもあり権利でもあります。それに加え、私たちは旧約 聖書中に登場する預言者の生き方に注目し、それに見習うべきものとされています。預言者は神の言葉を為政者と民とに直言する役割をしておりました。現代の 預言者はキリスト者個々人であり、個々人は特に為政者の働きを監視し、もしそこに誤りがあればそれを正す役目を神から命ぜられております。

 それで今ここに、私たちは主権者として、またキリスト者としての権利を、以下に続く文章による表明でもって行使しいたします。

☆政府の宗教行政について

 政府行政の対象は万般にわたり、その中に宗教行政があること自体は当然のことであり、それは宗教団体が政治対策をするのに対応します。し かし、特に宗教行政に関しては、憲法が保障する信教の自由・政教分離原則の侵害が許されぬことは論をまちません。にもかかわらず現政府は、宗教団体の活動 を取り締りの対象としつつあります。

 戦前「宗教団体法」なる宗教取り締まり法があり、国家政策に沿わない宗教団体は解散させられました。戦後、この「宗教団体法」は「治安維 持法」などと一緒に占領軍によって廃棄されました。国民の基本的人権を侵害し、国民の思想を統一し、国民を戦争に駆り立てる悪法であったからです。

 1995年12月8日に成立した改正宗教法人法は、「宗教団体法」回帰への第一段階であることは、政府当局が暗黙に認める通りで疑いの余 地がありません。改正宗教法人法の審議過程で「信仰の自由は侵さない」「信仰は内面の事柄、国家といえどもそれを自由にすることはできない」などと政府側 答弁にはありました。しかし、信仰の外面的表明である宗教活動が取り締まりの対象にされることは、信仰そのものへの侵害に通じることで、政府の真の意図も それを狙ったものと断ぜざるを得ません。

 その政府の意図をうかがわせるものに、文化庁に「宗教情報センター」なるものを設置しようとする動きがあります。それこそ政教分離原則を侵害するおそれが大いにあり、そのような動きを認めることはできません。

 さらに、政府は「政教分離基本法」(仮称)なるものを準備しつつあります。その内容は、色々取り沙汰されておりますが、中核は「宗教団体 の権力奪取」を禁ずる法律の作成にあるようです。その根拠を憲法20条中の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならな い」に求め、政治権力行使のおそれのある宗教団体の活動を未然に押さえ込むことを意図しております。これは戦前の「治安維持法の予防拘禁」的な考えを「宗 教団体」に適用しようとすることにほかなりません。「破壊活動防止法(破防法)」を宗教団体であるオウム真理教に適用しようとしていることは、まさにその ような事例が先取りされることであって、断じて認めることができません。

☆首相・閣僚の靖国神社参拝について

 1996年7月29日橋本首相は靖国神社に公式参拝しました。本人は「自分の誕生日に参拝したのだから、8月15日に参拝しないとの約束 は破っていない」と抗弁しております。記者団の質問に「公的か私的かを問うこと自体がナンセンスである」とも答えております。しかし、記帳は「内閣総理大 臣」としたと答えており、これは公的な参拝であることを公言したことになります。

 首相・閣僚等の靖国神社公式参拝についての政府統一見解は以下のように変遷しています。すなわち、1980年の時点では「政府としては違 憲とも合憲とも断定していないが、このような(公的)参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないということである」であったものが、1985年には 「靖国神社の本殿又は社頭において一礼方式で参拝することは憲法20条第3項の規定に違反する疑いはないとの判断に至った」と以前の見解を変更しておりま す。要するに、靖国神社が規定する正式参拝方式「玉串奉奠・二礼・二拍手・一礼」をしなければ合憲というものでした。

 今回の橋本首相の参拝は「内閣総理大臣」と記帳して、正式参拝を行ったものであり政府統一見解から逸脱した違憲行為でした。

 1985年8月15日、中曽根首相(当時)が「内閣総理大臣たる中曽根康弘」が「一礼」方式で靖国神社に参拝し、中国・韓国等の厳しい非 難を浴びました。以来、首相の靖国神社参拝は国際関係を配慮して行われていなかった経緯は、前日本遺族会会長の橋本首相が知らない筈はありません。そのこ とを承知の上での参拝行為であることに注目し、厳重に抗議せざるを得ません。

 韓国・朝鮮・中国からの抗議は、首相が参拝することの政治的・思想的な意味への批判から出たものです。首相の靖国神社参拝敢行の真の意図 は、自らの歴史観の「行為による表白」であるとともに、勢いを強めつつある国粋主義者への「言葉によらない声援」でもあるのです。首相が憲法原則・政府見 解を踏みにじったこと自体重大問題ですが、それ以上の問題が首相の、「侵略戦争否定・アジア解放戦争肯定」のこの戦争観であることを、あえて指摘しなけれ ばなりません。

☆戦没者追悼平和祈念館の建設について

 1979年日本遺族会は厚生省(橋本竜太郎大臣・当時、現総理大臣)に「戦没者遺児に対し国家は慰藉せよ」と持ちかけ、厚生省が「戦没者遺児記念館」の建設を計画しましたが、それが今日の「戦没者追悼平和祈念館(仮称)」建設につながっております。

 建設に要する予算が計上され国会で論議されるようになり、その問題性があらゆる面であらわとなっております。それらの問題を一つ一つ解決 したのち、建設の可否を決定すべきにもかかわらず、国民的な合意を得ないまま、本格建設を強行しつつある事態に抗議し、以下の理由で、建設中止を強く訴え ます。

①日本遺族会幹部の歴史観・戦争観は偏向しており、かつての日本がおこなった侵略戦争をアジア解放のための正義の戦争であったとして、根本的に史実を歪めている。
②「祈念館」の運営を日本遺族会に一任することになっており、展示物が戦争肯定、戦争讃美になることが予想される。
③アジア侵略の罪責を見落としている「祈念館」は、アジア諸国から非難を受け続け、国際関係を平和・友好とする国是に反し、緊張と疑惑をもたらすことになる。
④「祈念館」の実質的な狙いは、戦没者遺児の労苦を慰め、それを顕彰することにある。それは国家の政策に従った兵士と家族を顕彰することにより、国民の戦争参加をプラス価値とし、戦争そのものの肯定に導くことになる。
⑤真に問われるべきものは、いかに国民が国家政策に協力したか否かではなく、あの戦争の性格である。日本遺族会の運営では、それを期待することができない。

☆「愛媛玉ぐし料違憲訴訟」最高裁大法廷について

 愛媛県知事が靖国神社・護国神社への玉串料を県の公費で支出したことを違憲とした訴訟事件が最高裁大法廷で審査されることになりました。 今回の大法廷回付への決定が司法独自の判断によるものか、行政府の介入によるものかは知るすべがありません。その決定には、少なくとも、靖国関連裁判での 政教分離原則の適用による判決の「捻れ、揺れ」現象に、この際決着を付けようという意図が見られます。

 「津地鎮祭違憲訴訟」の大法廷回付が、憲法の政教分離原則の適用では判決が揺れているとき、それに決着を付けるためのものでした。 1977年最高裁は「社会通念」「目的・効果」基準なるものを導入し、公的建築物の地鎮祭へ公費負担や公務員参加は合憲である、との判断を下したのです。

 以後、政教分離に関する訴訟の判断基準は「目的・効果」基準に従ってきましたが、これに従っても判決が揺れる現象が続いてきました。この司法の現場の実状に、最高裁が再び「基準」を打ち出そうとしているのでしょう。私たちは、その判決を注意深く見守っております。

 愛媛玉串料違憲訴訟の判決は、一審は違憲、二審は合憲でした。同種の岩手靖国訴訟では、一審は合憲、二審は違憲で判決が確定しました。その判決文には、天皇や首相の靖国神社公式参拝は違憲であると述べられているのです。

 このような現象は、裁判官に代表される国民の意識の現れであると見なせないでしょうか。国民の間に、どちらか黒白をつけてほしいという司 法不信の声はありません。問題の難しさ、国民の間にある多元的な意見の存在を、国民自らが知っているからです。私たちは、司法府が「第三の基準」を持ち出 し、政教分離原則をなし崩しにする新解釈で判決の揺れに無理やり決着をつけることがないように、切に願っております。

 日米防衛協力の指針「ガイドライン」の見直し、防衛地域の「極東」を「周辺」へと拡大する日米安保条約の新定義、憲法が禁じている集団的 自衛権の行使などの動きは、必然的に「自衛官」の戦死という事態を招来し、それに対する国家としての対処を求められることでありましょう。

 すでにPKO活動と称して世界各地に派遣されている自衛官が、部隊単位の「武器使用」によって「殉職」する場合は皆無と言えません。PKOとPKFとは表裏一体の関係にありますが、凍結しているPKFの解凍によって自衛官の「殉職」は、より現実性を帯びてくるでしょう。

 このような状況下であるだけに、私たちは、司法府が靖国神社合祀問題を睨んだ政治的な判決を下すことがないように、また政府が司法に圧力をかけることがないように、切に望んでおります。

 私たちは政教分離原則が守られるように、政府の宗教行政のあり方を注視しております。そもそも政教分離原則は、国家と特定宗教団体が癒着 し天皇制の下に超国家主義体制のイデオロギーを形成し、ついに「聖戦」の名で侵略戦争に走ってしまった過ちへの深刻な反省から生まれたものです。

 日本国憲法の平和主義原則は、平和を乱す動きを監視し、もしそのような兆候が見られるならば、それを若葉の段階で、平和的手段・外交的手段で、摘み取ってゆくような積極的な態度を内外に表明したものです。国民もそれに賛成して戦後を歩み始めたのではありませんか。

 今年は日本国憲法公布50周年に当たります。憲法の前文・政教分離原則・戦争放棄条項は、今や世界の平和を創り出そうとする平和団体が注目するところとなっております。それは「絵に描いた餅」であるどころか、もっとも「現実的な平和への指針」との評価を得ているのです。

 かえって「力による平和」こそ「絵に描いた餅」であったと、世界の人々は悟り始めております。現在「力による平和」の執行機関は、国連安 保常任理事国の軍事参謀委員会でありますが、日本は国力にふさわしい応分の国際協力をすべきであると、この常任理事国新規加入に名乗り挙げております。こ のような現政府の動きを、私たちは黙過することができません。「世界の憲兵」として武力を行使し、拒否権発動で自国のわがままを通すような常任理事国の仲 間入りをする必要が、どこにあるのでしょうか。ここに私たちは、「現政府は速やかに日本国憲法の基本理念に立ち返り、この平和主義のあり方で国力にふさわ しい国際的な貢献をなすべきである」と強く主張します。

 最後に私たちは、世界宗教としてのキリスト教界が有する地球規模の政治監視ネットワークからの情報の受信者であり、また発信者でもある権利・義務の行使を、今後も続けてゆくことを表明いたします。