政府の教科書検定政策に抗議する

2001年5月3日
日本長老教会「ヤスクニと平和」委員会

「新しい歴史教科書をつくる会」が作成した中学生用歴史教科書が検定を通過した。

この教科書は、その取り上げた内容の選択とその記述の仕方が、自国中心主義に偏 り、戦前の植民地支配を正当化し、侵略戦争をアジア解放のための正義の戦争であるとするものである。国内だけでなく、中国、韓国、北朝鮮などからの強い抗議は当然である。

同会の歴史教科書観は、国民に民族の伝統・魂を植え付けるための物語を盛り込ん だものでなければならぬとするものである。従って、日本国は善い国、正しい国、悪を懲らしめる正義の国、弱い国を助ける強い国、アジアの盟主となるべき使 命を帯びた国であるとし、日本は天皇が国民の上に君臨し、国民は天皇を崇め、天皇に恭順し、天皇のためには命を捨てることも辞さないことを美徳の持ち主と される。これはまさしく戦前の歴史教科書の再現ではないか。「新しい歴史教科書」とは実は「古い歴史教科書」の復刻版である。

戦前の教科書は、歴史でないものを歴史とし、真実の歴史を隠蔽し、歴史を歪めた ものであった。白を黒とし、黒を白とする、有るものを無いものとし、無いものを有るものとする虚偽に満ちたものであった。そして、このような教育を受けた 国民が天皇の命に従って戦争に総動員され、アジア各地で何を行って来たか。聖戦の名の下に様々な 戦争犯罪を犯してしまったのではなかったか。

国際社会の一員としての日本国は、これらの事実を日本国民に正しく伝えることが 義務ではないか。また日本人がこれらの事実を知っておくことは、国際人として欠かす ことのできない常識である。同会の教科書を検定合格とした政府は、その国際的な義務に背き、国民に国際的な常識を身につけさせまいとする歴史観を認めたこ とになりはしないか。

人類は帝国主義の時代、戦争の時代という大量殺戮の時代を経験し、21世紀は平 和の時代としたいと願っている。国家主権のかたくなな主張の衝突が戦争を招いたとの 近代国家の欠陥への反省が高まり、主権の一部を放棄して、国家連合、国家協力への流れができつつある。教科書に関しても、隣接諸国が共同し各国の歴史教科 書の内容を調整し合って偏狭な愛国心育成の芽を摘んでいるのが現状ではないか。

このような流れに逆らうような自民族中心史観、天皇中心の世界征服史観を、同会 の教科書は基本に据えている。これは前世紀の世界諸国が抱いた「誤った歴史観」に今もってしがみついたもので、とても「新しい」といえるものではない。

日本が正義と平和を追求する国でありたいとは日本人共通の願いである。しかし、 過去の日本はそうではなかった。今回検定合格の教科書は、「ありたい国家像」(社会倫理)を「そうであった国家像」(歴史)であったかのように見せかけた ものである。政府の歴史観は、この教科書の歴史観とは違うという。しかし、教育は国家を担う国民のあるべき姿を教えるべきで、そのためには正しい歴史を歪 曲してでもそれを貫くという歴史教育観で両者は一致している。

歴史観はある歴史をどのように解釈し表現するかということと、何を取り上げ、何 を無視するかということで判定される。今回の文部科学省の検定は、そのうちの、表現の修正と、取り上げた一部の削除を求めたもので、公正に取り上げるべき ものを取り上げるようにとの意見は出されていない。歴史観の一側面だけを検定して、他の側面を素通りさせたものである。この検定姿勢は、これまでの、文部 科学省の歴史観に沿わない教科書を敵視し、不合格にしてきた姿勢、すなわち表現の修正だけでなく、 取り上げる内容の取捨にまで及んでいたものと異なっている。今回は、かつて不合格にした教科書の歴史観と対立するような歴史観とテーマとを盛り込んだ教科 書を合格とした。「敵の敵は味方」を文字通り実行して、その歴史観を容認したものである。

政府の歴史観と一致した教科書が国定教科書である。政府は政府の歴史観と同教科書の歴史観とは違うとして、批判・非難をかわしている。そのことは、今回の教科書は検定であって国定ではない という程度の意味の違いであって、歴史観が違うというのは詭弁である。

私たちは、この世が正義と平和を求めるものでありたいと願っている。今回の教科書検定合格はこれに著しくもとるものであるゆえに、強く抗議の意思を表明するものである。