集団的自衛権行使の閣議決定に抗議し、法制化の中止を求めます

内閣総理大臣 安倍晋三殿

 私ども日本長老教会社会委員会は、安倍政権が2014年7月1日に集団的自衛権行使を閣議決定したことに対して以下の理由により抗議します。
 集団的自衛権は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」です(1981年5月29日国会政府答弁)。つまり、日本が攻撃されていなくても、同盟国が行う攻撃に連帯して、他国を攻める権利を持つことを意味します。日本政府は1950年1月にマッカーサーが米ソ冷戦の激化を背景に「日本国憲法は自衛の権利を否定したものではない」と発言したことを受けて、1950年に警察予備隊を、1954年に自衛隊を発足させ、自衛権の行使を容認するという大きな方針転換をしてしまいました。しかしその中にあっても一貫して憲法9条下の自衛隊の活動範囲の限界は「我が国を防衛する必要最小限度の範囲」にとどめられてきました。その後、特に1965年に米軍が北ベトナムに爆撃して以降ベトナム戦争が激化する中で、自衛の解釈の範囲を集団的自衛権まで拡大するべきだ、ということが国会で何度も論議されました。その中にあっても日本の自衛権行使の範囲は、専守防衛に限定され続け、憲法9条下においては集団的自衛権の行使は認められない、ということを日本政府の解釈として一貫して踏襲してきました。
 戦後69年に渡り日本政府が踏襲してきた解釈を、変更するということは重大なことです。それを国会の審議も通さずに、閣議のみで決定するというということは、憲法に則った政治を行うという立憲主義の原則を安倍首相が極めて軽く見ている重大な問題を覚えます。集団的自衛権とは実際には「攻めていない相手に攻撃できる権利」です。他国から武力攻撃が発生していない段階でも、放置しておけば自国に差し迫った危機が将来訪れる危険があるのを予防する目的のために攻撃することを「先制的自衛権」として認めるものです。
 安倍首相は「あらゆる事態に対処できるからこそ、そして対処できる法整備によってこそ抑止力が高まり、紛争が回避され、戦争に巻き込まれることがなくなる」と語りました。つまり攻めることが可能になれば抑止力が高まり、その結果紛争も抑止されるという主張です。現実には国際紛争において先制的自衛権の適用が頻繁に主張されて、しかも国連安全保障理事会も明確な適用指針を必ずしも与えていないため、「自衛」の名の下で第二次大戦後も無制限な先制攻撃が行われる問題が多発しています。このような「攻撃による自衛権」を認めたら、米国をはじめとする同盟国が行う戦争に追従する限界も歯止めもなくなります。
 先制攻撃を行うどの政府も「市民の安全を守るため」との大義を掲げ、「侵略」の本質を「自衛」の名で隠す現実があることを、戦前のみならず戦後史の検証からも学ばなければなりません。安全のための軍備化は、やがては「攻める自衛」へと進み、手前勝手な「名目自衛・実質侵略」への火ぶたとなることを、私たちは日本のみならず各国政府の現実からも知る必要があります。日本国憲法9条一項にある日本国憲法9条「戦争の放棄」の設立当初の趣旨は、戦時下の日本政府が「自衛」の名の下で近隣諸国に侵略的行為を行った歴史の反省に立って、平和の実現のためには「自衛権の発動による交戦権を放棄する」ことが必要であることを認識したものでした。そのような歴史の反省に基づいた日本国憲法前文及び9条の理念に反する政府方針を、安倍政権がいとも簡単に閣議のみによって決定したことを抗議し、改めて日本国憲法に規定された原則に則り、集団的自衛権の行使容認を撤回し、現在進めている法整備を中止することを求めます。
 
2014年9月5日
日本長老教会社会委員会
委員長 星出卓也


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