「長老教会って、どんな教会?」(4)

 今回から、教会政治にかかわる御言葉を取り上げたいと思います。まず、まず、神さまの贖いの御業の歴史における教会の存在の意味にかかわる御言葉として、エペソ人への手紙一章二〇節~二三節を見てみましょう。二〇節、二一節には、

神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。

と記されています。ここでは、栄光のキリストが父なる神さまの右の座に着座されたことが示されています。これは、詩篇一一〇篇一節の、

主は、私の主に仰せられる。
「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」

という御言葉の成就です。それで「すべての支配、権威、権力、主権」は、メシヤの「敵」である暗やみの力です。これが、霊的な戦いにおけるキリストのからだである教会の勝利の基礎です。
二二節前半では、

また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、

と言われています。これは栄光のキリストが「万物を彼の足の下に」従わせるという詩篇八篇六節を成就し、ひいては創世記一章二八節の「文化命令」(歴史形成の命令)を成就しておられることを示すものです。

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