「長老教会って、どんな教会?」(6)

  第四回目から、教会政治にかかわるみことばを取り上げています。今回は、教会において長老たちが立てられることに関するみことばを見てみます。
  まず、使徒の働き二〇章二八節-三〇節に記されているみことばを見てみましょう。これは、その前の一七節に記されているみことばから分かりますように、エペソにあった教会の長老たちに対するパウロの奨励のことばの一部です。二八節には、

あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。

と記されています。ここでは、教会と長老についていくつかのことが示されています。
  まず取り上げたいことは、長老たちを立てたのは聖霊であるということです。
  言うまでもなく、これは長老たちが聖霊の直接的な指示によって立てられたということではありません。一四章二三節には、ルステラとイコニオムとアンテオケにおいて、パウロとバルナバが

彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた

と記されています。エペソにある教会の長老たちもそのような手続きを経て選ばれたと考えられます。しかし、そのようにして立てられる長老たち自身を 育ててくださり、長老にふさわしい人格的な資質と必要な賜物を与えてくださり、実際に、選ばれるように導いてくださったのは聖霊であるのです。これは今日 においても同じです。
  このように、長老を立ててくださるのが聖霊であるということから、さらに、いくつかのことが考えられます。
  第一に、長老の選出に手続きがあり、それに主の民がかかわりますが、長老を任命するのは主の民ではないということです。その意味において、これは国政 において、選挙によって選出された議員が、国民から権威を委託されるということとは違っています。長老は教会のかしらであられる栄光のキリストによって任 命され、キリストのからだである教会を牧会する責任を栄光のキリストに対して負っています。(参照・ペテロの手紙第一・五章一節-四節)
  第二に、長老たちを立ててくださるのが聖霊であるということは、長老たちを選出することが教会のかしらである主のみこころであるということを意味しています。長老を立てることはオプションなのではありません。
  先ほど、パウロとバルナバが、自分たちの宣教によって建設された教会に長老たちを立ててから、「彼らをその信じていた主にゆだねた」と記されています。また、テトスへの手紙一章五節には

私があなたをクレテに残したのは、・・・私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。

と記されています。これらのことも、みことばにおいては、長老が立てられることを当然のことを賭していることを示しています。
  さらに、長老の資質については、テモテへの手紙第一・三章一節-七節やテトスへの手紙一章五節-九節に記されています。このように長老の資質について 詳しく規定されていることも、長老を立てることを当然のこととして踏まえています。[長老の資質と賜物については、拙著『長老について』を参照していただ ければ幸いです。]
  第三に、このように長老たちを立ててくださる聖霊は、その長老たちをとおして、ご自身の御業をなしてくださるということを意味しています。聖霊は長老 たちとともにいてくださり、牧会の働きを導いて、実を結んでくださるとともに、長老たち自身を人格的に成長させてくださり、賜物をさらに磨いてくださるの です。

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