「長老教会って、どんな教会?」(7)
前回は、長老が立てられることに関するみことばとして使徒の働き20章28節を取り上げました。そこでは、長老を立ててくださるのは聖霊であるということが示されていました。続く29節には
「私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。」
と記されています。これはパウロがエペソにある教会の長老たちに語ったことばです。
ここでは「狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回る」ようになるということが指摘されています。マタイの福音書7章15節に記されている
「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」
というイエス・キリストの教えに示されていますように、「狂暴な狼」とは「にせ預言者たち」、今日ではにせ教師のことです。パウロは、長老たちはこのようなにせ教師たちの働きから群れを守るように立てられているということを教えています。
このことの根底には、イエス・キリストご自身がご自身の群れをお守りくださるということがあります。ヨハネの福音書10章11節?13節には
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼 が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけてい ないからです。」
というイエス・キリストの教えが記されています。イエス・キリストこそがまことの良い牧者であって、ご自身の群れの羊に心をかけてくださっていま す。その栄光のキリストが、御霊によって、ご自身のからだである教会を牧する長老たちを立ててくださり、彼らを通して羊達を養い、「狂暴な狼」から群れを 守ってくださいます。
先ほど引用しましたエペソ人への手紙20章29節に続く30節には、
「あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。」
と記されています。にせ教師たちによる誤った教えは教会の外からやって来るだけではなく、教会の内側からも生まれてくると言われています。
もちろん、それは多くの場合、外側で教えられて広まっている教えに心を奪われてしまった人々によっていると考えられます。しかし、それが一部の人々に よることではなく、群れ全体が誤った教えを求めるようになり、さらにそれがその時代の教会全体を特徴づける大きな流れのようになる可能性もあります。テモ テへの手紙第二・4章3節、4節には、
「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」
と記されています。テモテへの手紙第一・4章1節にも、
「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。」
と記されています。
このようなことを踏まえますと、長老たちの存在と働きが決定的な重さをもっていることが分かります。それはまた、長老たちが福音のみことばを正しく受 け止めていなければならないことを意味しています。特に、テモテへの手紙に記されているみことばが示しているように、誤った教えがその時代の教会全体に影 響を与えることもあります。そのようなことに備えるためには、キリストの教会がこれまでの2千年の歴史の中で経験してきたこと、特に、福音の真理をめぐる 論争の歴史から学ぶ姿勢も大切なことになります。私たち日本長老教会が採用している「ウェストミンスター信仰基準」はそのような歴史を踏まえて作成されて いますので、これをしっかりと学ぶことは、信徒にとっても大切なことですが、特に、長老たちにとっては大切なことになります。
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