日本基督長老教会 設立の経過
日本基督長老教会の設立の計画は古い。既に5年前、後藤牧師宅に、後藤、小畑、堀越、加藤らが会合して三原則を定め、その後、軽井沢における夏期バイブル・カンファレンスの際、一夜、後藤、堀越(松ノ木)、小畑(済美)、小林(四日市)と3教会の代表者が会合し、その後も数回、あるときは連合修養会とまた、連合長老会を―四日市よりも度々代表長老の出席があったことは、特筆すべきことである―またあるときは、牧師と神学生たちと度々研究会を開いている。顧みれば、かなり長い準備期間であった。いわば、慎重な歩みをつづけて来たのであった。
その間にも外部から数名の加入申込みがあったが、何分にも、我らの教会設立にはウェストミンスター基準という1つの標準がある事とて、いろいろな方々を迎える事ができない。我らは必ずしもこれが大きな勢力となることを望まない。むしろ小さくても堅実な成長発展を望むのである。
昭和31年12月9日(日)午後2時より、済美ヶ丘教会において、日本基督長老教会は、予定の如く設立された。
(『日本基督長老教会』序文より 1958年1月10日発行)
(出典:『歴史の源流を辿る―草創期の日本基督長老教会―』守山キリスト教会、2005年9月)