日本基督長老教会 大会設立宣言
苦節18年、われら日本基督長老教会は、今、ここに大会を設立する。ただでさえ伝道困難な日本に、自主自営の態勢をもって、純粋な聖書的信仰、厳正な宗教改革神学、清潔なキリスト者生活を目ざして、狭き道を歩みつづけてきた、われらに対する上よりの尽きざる御慈愛と御忍耐とをかえりみるとき、われら一同、おそれとおののきとをもって、主なる神に礼拝をささげるものである。
思えば、当初、3教会で発足した群れは、予想をはるかに越えた苦難をしいられながらも、次第に成長して、東部中会と中部中会とを擁し、今や第3次中会建設計画へと導かれるにいたっているのであり、その視野は、いよいよ全国的なものにひろげられている。その上、タイおよびインドネシヤに活躍する宣教師を輩出することをえて、いつしか世界に向けても大きな光栄をにないつつあるのである。
さらにまた、このような場所的な面と共に、時代的にも、各教会にクリスチャン・ホームの数を増し、多くの子女を得て、次の世代への祈りと責任とをおぼえる新段階に入りつつあり、この点においても、事態に即応した明日への志の継承と新しきビジョンの与えられることを求める希望とに生かされるものとなっている。
こうしたことを思いめぐらすとき、大会設立・長老制完備という事実によって、われらは日頃たがいに抱いて来た志と、歩んで来た路線とが、御意に嘉せられたごとを信ずるものであり、同時に、われらの進路に対する聖なる御期待のほどを確認させられるのであって、これを無限の励ましとし、この道一筋に歩みぬくものであらねばならない。
ひるがえって、今日の世情を見れば、国際関係は依然として、いつ、どう崩落するかも知れぬ暗流に立ち、国内外の人心の荒廃は、一般世人すらおのずと終末の恐怖をおぼえるまでに、あらわに、またひそかに、すさまじくすすんでいる。ことに、経済的繁栄の虚像のもとに目ざめた日本の古き神々は、靖国神社法案を初めとして、有形無形に福音を圧迫せんとし、ふたたび弾圧の暗雲さえ見せ始めている。
かかる時期にあたって、日本基督長老教会の大会設立をはたさせたもう御意が、いかなるものであるかをわれらは心してうかがいつつ、あくまでも純正なる福音の伝道と、清潔なる生活の立証とによって、着実に、しかも果敢に、みずからに託された使命のために戦いを進めて行くことを、あらためて誓い合うものである。
「願わくは、永遠の契約の血によりて、羊の大牧者となれるわれらの主イエスを、死人の中より引き上げたまいし平和の神、そのよろこびたもうところを、イエス・キリストによりてわれらのうちにおこない、御意をおこなわしめんために、すべての善き事につきて、なんじらを全うしたまわんことを。世々限りなく栄光かれに在れ、アーメン」(ヘブル人への手紙13章20~21節)。
1974年10月10日 日本基督長老教会第1回大会
(出典:『歴史の源流を辿る―草創期の日本基督長老教会―』守山キリスト教会、2005年9月)